「一期一会」の正しい使い方、間違った使い方

ではまず一期一会の正しい意味と使い方を確認します。

一期一会の意味とは?

一期一会は「いちごいちえ」と読みます。 「一期」はもともと仏教用語であり、人が生まれてから死ぬまでの間、すなわち一生のことです。 「一会」とは1回会うという意味です。 すなわち「一期」+「一会」なので、語義だけで言えば「一生に1回の出会い」というのが本来の意味です。これがいろいろなシチュエーションで使われる中で間違った意味と使い方に変わってきているのです。

一期一会とはどの分野の言葉なのか?その分野での使い方は?

この仏教用語と日本語を合成して「一期一会」という言葉を作り使い方を開発したのは、16世紀後半の安土桃山時代に茶道を大成させた千利休だと言われています。ただし、利休は文章も書籍も残していないので、その弟子の山上宗二が著書「山上宗二記」の中で、利休の「茶湯者覚悟十躰」、つまり茶道を行うものの10の覚悟として、利休が「路地ヘ入ルヨリ出ヅルマデ、一期ニ一度ノ会ノヤウニ、亭主ヲ敬ヒ畏(かしこまる)ベシ」と言ったと文章にしています。これは訳せば「茶室に向かう庭の中の道(これを路地と言います)に入ってから出るまでの間は、まるで一生に1回の出会いのように、茶席の主を敬い、尊重しなければならない」ということであり、茶席を設ける側の使い方と招待された側の使い方の両方に共通する言葉です。 ここで言われてるのは、つまり、茶会に臨む際には、その機会は一生に1度の出会いのように、二度と繰り返されることのないシチュエーションだと心得て、亭主、客ともにお互いに尊敬しあい、誠意を尽くさなければならない、ということです。 ですから「一期一会」の正しい意味と使い方は、茶会に限らず、「あなたと出会っているこの瞬間は、一生に1度の二度と巡って来ないたった1回きりのものです。ですので、この一瞬を大切にして、今できる最高のおもてなしをし、お互いに最高の時間にしましょう」という意味であり使い方になります。

井伊直弼が一期一会の使い方を定着させた

この一期一会という言葉が、茶道という専門領域から、一般の用語として広まり始め、使い方が定着したのは、江戸時代末期に、大老の彦根藩藩主、井伊直弼が茶道の1番の心得として、著書「茶湯一会集」の冒頭に、 抑(そもそも)茶湯の交會(こうかい)は一期一會といひて、たとへば、幾度おなじ主客交會するとも、今日の會ににふたゝびかへらざる事を思へば、実に我一世一度の會なり。さるにより、主人は萬事に心を配り、聊(いささか)も麁末(そまつ)なきやう、深切(しんせつ)實意(じつい)を盡(つく)し、客にも此會に又逢ひがたき事を辨(わきま)へ、亭主の趣向何一つもおろかならぬを感心し、實意を以て交るべきなり。是を一期一會といふ。 という文章を書いたところに由来しています。この文章が有名になって、一期一会が人口に膾炙し、茶人の間で「今日は一期一会のつもりでおもてなし致します」というような使い方をされるようになったのです。念のため、訳してみましょう。 そもそも茶会は一期一会と言って、たとえば何度も同じ主人と客が茶会を行ったとしても、その日の出会いはその時だけのことなので、まさに一世一代のことだと言える。したがって、主人はすべてのことに配慮し、少しも手抜かりがないように、誠実で親切なもてなしを行い、客もこういう出会いが2度とないと考えて、主人の行う趣向の1つ1つをおろそかにしないでその真意を味わい、まごころを持って接しなければならない。これを一期一会という。 幕末に安政の大獄という未曽有の虐殺事件を起こし、暗殺されてしまう井伊直弼ですが、本来は高い教養を持った文化人だったようで、このように新しい日本語の創造と使い方の定着に貢献しているわけです。

そこから導き出される一期一会の正しい使い方は?

このように一期一会とは目の前にいる人との今一緒にいる空間、時間を大切にする、という意味になります、したがって、文章中の使い方としては、 「この時間を一期一会だと思って、しっかり楽しみましょう」 「今日のこの会合を一期一会だと思って、ぜひお互いに親しく接してください」 などが正しいということになるのです。

あなたもやってない?一期一会の間違った使い方

しかしこの一生に1回、ということが曲解されて、間違った使い方の方が今や広まっている観があります。

一期一会の使い方は「出会いの大切さ」ではNG

この「一生に1回」ということを、「多くの人との出会いの中で、あなたに会えたという確率は非常に低い。その中で会えたのだから、この出会いは大切です」というような意味合いの使い方をすることがあります。 しかしこれは元々利休や井伊直弼が用いた語義から言えば使い方としては全く間違ったものです。なぜなら、井伊直弼が明確に言っているように、「幾度おなじ主客交會するとも」ですから、本来の一期一会は同じ人と何回会ってもその瞬間を大切にしなさい、という使い方であって、確率の低い出会いだから一期一会の出会いだと思って大切にしよう、という使い方ではないからです。それは明確に間違った使い方です。 なおかつ「一期一会」の言葉には「一生に一度の出会いのこと」という意味が含まれるので、「一期一会の出会いを大切にする」と使い方は重複表現にもなり、誤用に誤用を重ねていて、その本来の語義を知っている人が聞けば、非常に恥ずかしい間違った使い方です。

誤った使い方の例

たとえばこの間違った使い方の文章例としては以下のようなものが挙げられます。自分が使っていない確かめましょう。 「旅行先での一期一会の出会いを大切にしている」 「毎日、海の写真を撮るのはその景色が自分にとっては一期一会の出会いを大切にしているからだ」 「わたしは古本屋で本を探すことを、ほんとの一期一会の出会いを大切にすることだと思い、これと感じたものは迷わず購入している」 「猫が大好きな彼は、道端で猫を見つけるたびに、一期一会の出会いを大切にしたいと言って行けるところまでついていった」

では「一生に1回の出会いを大切にする」は一期一会以外にどういえばいいのか

しかし、ここまで述べた内容は生活の中で「一生に1回の出会いを大切にする」というのを表現することを否定しているわけではもちろんありません。そこに一期一会を当てはめるのは誤りだということだけです。したがって、「一生に1回の出会いを大切にする」ということを言いたかったり、文章にしたい場合には、ほかのことわざや言葉を使えばいいのです。 ここではそのような意味に使える熟語やことわざをご紹介します。

千載一遇(せんざいいちぐう)とその使い方

この意味は、千年に1度しかめぐりあえないほどのまれな機会ということなので、転じて2度と出会うことがないかもしれないことになります。使い方は「千載一遇のチャンス」、などです。

一世一代(いっせいちだい)とその使い方

この意味は、一生に1度だけであることということで、転じて一生に2度とないような重大なことを指します。使い方は「今度の公演は一世一代の晴れ舞台だ」などです。

邂逅(かいこう)とその使い方

この熟語は、「邂」は「巡り会う」という意味で、「逅」は「ばったり出くわす」という意味ですので、両方とも同じような意味の漢字を組み合わせたものです。したがって意味は、「思いがけない出会い」になります。あまり口語では使いませんから、使い方は文章の中で 「友人Aと東京駅で邂逅した」 などになります。

まとめ

いかがでしたか。 ほかにも「役不足」「情けは人のためならず」などのように、本来の意味とは全く反対の間違った意味で誤用されていることわざや熟語はかなりあります。 最初に書いたように日本語は時代時代で変化していくものですから、それをすべて否定するわけではありませんが、しかし言葉には1つ1つ歴史が積み重なっていますので、できればその歴史を踏まえた正しい使い方をしたいものです。 一期一会のその典型的な四字熟語の1つですので、ここで解説した内容を理解し、これからは正しい使い方を選択しましょう。そして誤用している人や文章があったら、陰でそっと優しく教えてあげましょう。