「武士の情け」の意味・類語・英語表現/外国人に聞かれても大丈夫?

「武士の情け」の本当の意味を知っていますか。最近でもよく使われるこのことばですが、少し間違った使われ方をよく耳にします。「武士の情け」の英語表現するにあたり、まず「武士」と「侍」の違い、「武士の情け」のこの「情け」の本質的な意味をよく理解することで、今後も多くなっていく外国人観光客にきちんと説明できるようになりましょう。

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武士には「自らを律し、自ら決めた信義を貫くが、相手の名誉・プライドも尊重する。」という武士道精神が宿っています。その精神が「武士の情け」という言葉を生み出したのです。 この「武士の情け」とい言葉に、外国人が大変興味を抱いています。 日本に訪れる外国人観光客数は2020年には4,000万人になるともいわれています。海外では、武士をテーマにしたハリウッド映画やクールジャパンと称した日本文化の啓蒙の影響もあり、外国人は日本文化に興味深々です。欧米にはない武士道の精神に興味が高いのではないでしょうか。 キリスト教は自殺を禁じています。自殺すると地獄に落ちるといわれています。そのようなキリスト教圏の人たちに、「侍の切腹」「切腹するとき介錯する行為」は理解がしがたいと思われます。命より名を惜しみ、自らの命をもって責任を取る武士の在り方は、大変衝撃的だと思います。 まず、武士道精神である「武士の情け」の由来からみていきましょう。

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➁「武士の情け」の由来 

1. 武士道精神

「武士の情け」を外国人に説明するにあたり、まず、その「武士」「情け」の意味を理解する必要があります。 武士とは平安時代から江戸時代までの身分、出自を表す武装集団の構成員ことを指し、その武士には「武士道」という精神が宿っていました。 武士道精神とは、自らを律し、信義を貫き、他人を思いやる精神。主君に忠誠を誓い、家族や大切な人のために、反する者に対しては自ら武士のプライドにかけ常に命をかけて責任を果たすという強い精神論です。

2. 武士の情け、慈悲の精神

戦の時、戦う相手の武士も同じ武士道精神。相手に殺されそうになりそうでも、命あるうちは最期まで相手と戦います。信義を貫くためには、死を辞さない武士の世界で降伏したり逃げ出すことは許されません。 その相手に対して、最期の一打を加えるまえに、相手の武士としてのプライドを守ってあげることが「武士の情け」で、慈悲(苦しみを取り、楽にさせる)の精神です。

3. 武士の情け の由来

規律に反した武士を処刑せずに、その武士に自らの意思で死なせる「切腹」をさせる。このことは武士道の象徴的な行為ですが、面目を重視する武士は他人に苦しむ姿を晒すことは不覚の極み。そのため、切腹する武士のプライドを守る意味で、介錯をする人がいます。腹を切り苦しんでいる恥ずべき姿を見せることなく、一瞬で首をはねる(=介錯)ことによって苦しむことなく成仏できるという「武士の情け」の配慮があったのです。

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➂「武士の情け」の英語表現

1.「武士」の英語訳

武士とは何かを考えていきます。 平安時代、高級貴族など身分の高い人のそば近くに仕えたり、奉公したり、警護を担当する人々を「侍(さぶら)う者」とよび、それが「侍」の語源です。その「さぶらう者」の武力集団・勢力である「武士団」が生まれ、それは貴族階級の「武家」、高位貴族の秘書や護衛をする「侍」、そのほか雇われの「武士」と階級づけられました。それら「武士団」の構成員を総じて「武士」と呼びます。天下統一された江戸時代に入ると、それらの区別は薄れていき、武士=侍と認識されるようになります。 ただ、武士のなかでも、主君に仕えている者は「武士」と呼び、仕えていない暇に出された組織に属していない者は「浪人」と呼ばれました。今の浪人生の語源です。 現代では、映画などの影響もあり、海外で武士は「SAMURAI」という表現が最も通じるようです。

2.「情け」の英語訳

「情け」の英訳は辞書で調べると、sympathy,compassion,empathyなど多くの単語あります。この中でも先述のように、「武士の情け」の「情け」は、哀れみとか同情という意味合いよりも、「慈悲」という感情に近いということがわかります。 それにもっとも近い”mercy”が適切です。”Lord may show mercy to you”(主はあなた方に慈悲を授ける)というような宗教上の慈悲深い情けに使用されています。 従って、武士の情け=Mercy of SUMURAI という英語表現が最適だと思います。 介錯という行為が「情け」といっても外国人にはちょっと理解しがたいと思います。

3. 武士と騎士との違い

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しかし、ここで気になるにが、西洋の「騎士」との違いです。武士の情けならぬ、騎士の情けはあったのでしょうか。 騎士も武士と同じように、主君に忠誠を誓い命を懸けて戦う点、他人に対する思いやりや弱者擁護は同じ精神論だと思います。 ただ、騎士の精神基盤は、不動の信仰となる教会の教えや、契約し忠誠を誓った主君にある。騎士道では「教会の擁護」、「封主への服従」、「異教徒の殲滅」、「悪への対抗」といった理由を挙げつつ、これに対する慈悲なき戦いこそが正義であると位置づけられています。教義や主君に決められた正義のために多くの人々を殺す、そのことこそが騎士としての価値になっています。「武士の情け」の「情け」が感じられないことがわかります。 これに対して、武士道はそもそも「戦い」が目的ではありません。敢えて言うなら「名誉」を守るため、名を汚さぬために最後の手段として戦うことがある、という考え方であり、武士に対して決して「戦え」と言っているわけではないのです。 武士とは尊厳ある意思をもった人間であり、常にまず自らの正義を問い詰め、またそれを他人に押し付けることはなく、好んで戦わず、しかし武士としての尊厳や名誉を守るためには、やむを得ず剣を抜く戦士でありました。その点が「武士の情け」の「情け」の本質です。 武士には自らを律し、自ら決めた信義を貫くが、相手の名誉、プライドも尊重する。という武士道精神が宿っている点が大きく異なるのではと思います。それゆえ、相手も尊重する「武士の情け」の理解に興味が湧くのではないかと思います。

④ 武士の情けに通じる武士道精神を表すことわざ類語

介錯という行為に言及されなくても、武士の情けに通ずる武士道精神を表したことわざは数多くあり、日本人の精神的な礎になっています。下記に類語を紹介します。 類語1「武士に二言はない」  武士に二言はないとは、武士は信義と面目を重んじますので、一度口にした言葉を取り消したり、約束を破るようなことはしないということです。一度決めたことは最後まであきらめずに貫き通すときに使います。 類語2「武士は相身互い」 同じ立場にある者は、互いに思いやり助け合わなければいけないということ。また、そのような間柄のこと。を意味します。敵味方になっても相手の立場になって物事を考えていくということです。まさに、武士の情けの「情け」を表しています。 類語3「武士は食わねど高楊枝」 「高楊枝」とは、食後ゆうゆうと爪楊枝を使うという意味です。たとえ貧しい境遇にあっても、貧しさを表に出さず気位を高く持って生きるべきだということ。名誉を重んじる武士は、貧しくて食事がとれない時でも満腹を装って爪楊枝を使うことから生まれたことわざです。 守護している領民には、毅然とした武士でいることで安心感を与えるということも武士の情けの一部なのかもしれません。 このように、「武士の情け」の意味に通ずる類語は現代でも使われています。

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⑤「武士の情け」現代の意味合い

現代、武士は存在していません。介錯の本質的な意味を理解する機会も少ないように思えます。そのため、武士の情けはちょっと意味合いが変化した使われ方をすることが多くなっています。 「お金返さないけど、武士の情けで今回は見逃してやろう。」などと使うのは、状況によって異なると思われますが、本来の武士の情けとは違った使われ方です。 切腹や介錯がない現代では次のように使われているもが「武士の情け」といえます。 「相手が負ける、辞めると分かっていても、相手のプライドを傷つけないように、武士の情けで最後まで正々堂々と戦う、いつも通りにふるまう。」 これは、「相手が弱い状況にあっても、相手の立場にたって思いやる気持ち。」 と広く相手に対する優しさを表す表現として使われることが多いようです。 このように、武士道精神は日本人の精神的な価値観に大きな影響を与えているのです。

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⑥ まとめ

「武士の情け」の英語表現としては、”Mercy of Samurai”が適切と思います。 外国人に対しては、「武士には戦ったり成敗する敵の武士のプライドも尊重する武士道精神が宿っていた。その敵・相手の尊厳も尊重する心が情け(=mercy)となって表れるのである。」と説明して、類語も交えて説明すれば、外国人の理解が進むのではないでしょうか。 切腹の介錯が由来といっても、外国人には現代での使用例があったほうがわかりやすいと思います。 我々日本人は、武士道の魂が宿っています。「武士の情け」を日常でも実践していきたいものです。自分の体験したことは、きっと外国人にも理解してもらえると思います。 外国人に素晴らしい日本の武士道の心を広めていきましょう。